横浜市 泉区 三田矯正歯科医院★三田院長のblog

矯正歯科治療に関することは滅多に書きません。それがポリシーです。
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今日で最後

中学から6年続いた『娘と途中まで一緒に歩く』のも今日で最後。

 

娘は駅から電車に乗って卒業式に。
僕は途中で娘に手を振って職場に。
朝7時の開店を待って朝モス読書を始めるが、

目が活字の上を滑るだけで頭に入って来ない。

 

 

まとめて揃う

皆様こんにちは。

横浜市泉区三田矯正歯科医院、院長の三田浩明です。

 

アクセルを踏むのも辛いほど右膝が痛いのですが、

久しぶりに家族3人でお買い物です。

4月から東京で寮生活となる娘のために、生活用品を物色に来ています。

 

なるほど〜、今は色々と便利なものが沢山あるね〜。

それにしても、ついこの前生まれたと思ったら、

ついこの前、小学校にあがり、ついこの前、、、、、

『まとめて揃う新生活』か〜。

そりゃ、新生活が始まる方はワクワクだろうけど。。。

おっと携帯着信。

「パパ、勝手にあちこと歩き回らないでよ、相談できないでしょ!」

と娘が怒っています。

 

そんなこと言ったって、、、

一緒にいたら泣いてるのバレちゃうじゃん!

 

 

思えば自分が大学2年生のとき、

余裕で通える距離だったのに、

なんだかんだと理由をつけて一人暮らしさせてもらった。

あのとき、両親もこんな風に寂しかったんだろうな。

 

世の中の多くのことは、後になってわかるものです。

 

 

記録更新中

皆様こんにちは。
横浜市泉区三田矯正歯科医院、院長の三田浩明です。

文化的な私たち夫婦の結婚式は、当然文化の日に開催されました。
結婚式から今日の結婚記念日まで、思えば
『毎日が、昨日よりもっと好き♥の連続記録更新中』
な訳でして、本日で19年になります。

ただ、上記赤字のようなことを書くと
キモさ倍増ですので、書かずにそっと胸にしまっておきます。

さて、文化の日と言えば、晴れの特異日みたいでして、
今日も、昨日とは打って変わり気持ちのよい晴天です。

朝RUN中にiPhoneで撮影


そう言えば、結婚式以来19年間一度も雨が降った日は無かったような気がします。

と言う訳で調べてみましたら、なんと2回も雨が降っていました。
人間三田浩明の記憶というのは信用できないものです。


結婚記念日、、、確か今日だったような気がするのですが。。。




 

娘の文化祭にて

皆様こんにちは。
横浜市泉区三田矯正歯科医院、院長の三田浩明です。

先日、我が家にとって貴重なことがありました。
いつのまにか高2になっていた娘の文化祭に、両親そろって見学です。




幼稚園の3年間は運動会だけは両親そろって見にいっていましたが、
小学校では行事が全て土曜日だったので、、、
はい、矯正歯科専門開業医の夫婦にとっては土曜の行事参加は無理なんです。
1度、開会式だけ応援にいって、仕事に間に合うように退散したのと、
雨で何故か5日後の木曜日に延期になったときに応援にいったくらいです。

運動会のお昼休み、友達は皆家族でお弁当を食べるのに、
うちの娘はいつも父・母ともにいないお昼休みでした。

それでも1度たりとも「どうして来てくれないの」とは言わない娘でした。

帰宅後も笑顔で運動会での出来事を話してくれたのですが、
本心では、どんな気持ちでお弁当を食べていたのか、本人のみぞ知るです。



話は戻って、高3になると文化祭がない学校みたいで、
文化祭を見に行ってあげられるのも今年が最初で最後だろうと思い、
娘は「来なくていいよ」とは言うけれど、行ってきました。

文化祭の出し物で同級生や後輩、参加者の方々に、ルールを優しく説明しながら場を取り仕切っている姿を見て
涙腺が緩んでしまうのをどうしようも出来ませんでした。

ちなみに娘の文化祭での立場は、カジノのディーラーで
父親の私は

『午後から歯科の講演を聞きにいかなければいけない』

という言い訳で1時間足らずの滞在。

 

身ぐるみ剥がされる事態にならずにすみました。

 

今更、思い出話なんかを。
皆様こんにちは。
横浜市泉区三田矯正歯科医院、院長の三田浩明です。

時の経つのは早いもので、
このときから、2年経ちます。

すっかり墓参りをサボってしまっていたので、
行ってきました。

せっかくなので、父の思い出話なんかを。

都立高校の教員だった父は、
「一生懸命に授業を聞く生徒に失礼があってはならぬ」
と、毎日夜遅くまで、次の日の授業の予習をしていました。

試験用紙の採点の時には、
『採点ミスで、生徒の人生を変えてしまってはいけない』
と、毎回必ず3回は見直し、3回目で自分のミスに気付き、
「ほ〜ら、3回見直して良かった!」
と、叫んでいました。

当時の私は、子ども心に、
1〜2回目でミスに気付かない程度だから、
東大は無理だったんじゃね〜の?(このとき参照)
と思っていました。
(今の時代は、答案用紙を自宅に持ち帰ったりできないのかな?)

今でこそ、私立中・高の全盛時代ですが、
当時は、公立校が優勢で、
父の受け持った数多くの生徒さんも、一流大学を卒業されて、
その後、社会に出られて、日本という国を
懸命に支えて下さったはずです。
ありがとうございます。


父はよく、
「こんな問題も解けないなら、死んじまえ!」
と、生徒を叱ったそうで、
その後、その生徒がご両親とともに、
「先生の、あの時の言葉に発奮して、
 御蔭様で東大に入ることができました」
と、お礼に来たそうです。

今なら、考えられませんね。

現在は、
「訴えられることはあっても、感謝されることはない感情労働の時代」
です。

話がそれました。

そう言えば父はよく、
「何度か注意しても分からない奴は、殴って教えるしかない」
と言っていました。
良いか悪いかは別にして、
当時はそれで問題になるはずもなく、
そこには確かに愛があったはずだと信じております。

刃物を抜いて、教壇に襲いかかってきた生徒に、
「刺せるもんなら刺してみろ!」
と怒鳴りつける。
そんなことは、当時は毎年東大に20人以上の合格者を出す
進学校でも時々あったようですが、
私の記憶にある限り、生徒に刺されたり、
殴られたりして帰宅した父を見た覚えはありません。

今なら、本当に刺されてしまう時代になりました。

そんなことを思い出していたら、
こんなものを見つけたので、買ってしまいました。
父が夢破れて入れなかった大学とは、
どんな世界だったのでしょう。





当院の天使たちのblogです。

 
1/2成人式
 え〜?マッジ〜??
今年の流行語大賞は
『この金髪ブタ野郎』じゃないの???
ショック〜!!!

とか、blogに書いている人は
今日だけでも1,000万人位いるでしょうから、
私は書かない、横浜市泉区三田矯正歯科医院、院長の三田浩明です。

今日、娘の通う小学校で、
娘の学年だけ体育館で『1/2成人式』
とやらを行いました。

つまり、10歳ってことね。

運動会とかは、いつも土曜日に行われるので、
私は見に行ってあげられないことが多いのですが、
今日はたまたま休診日の月曜日にやって下さったので、
見に行ってあげられました。
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記念日
皆様こんにちは。
横浜市泉区三田矯正歯科医院、院長の三田浩明です。

唐突ですが、私の愛読書の1つです。
   ↓ ↓ ↓ ↓
 アインシュタイン150の言葉
アインシュタイン150の言葉

この中に書いてある格言の1つに、

ある偶然の出来事を維持しようとする
不幸な試みを結婚という。


というのがあります。

私に限っては、
偶然の出来事を維持して、
幸せな時間が12年経過しました。

先日のこと。
小4(初恋する学年ですね。←私の思い込みです)の娘がおもむろに、
「はい、パパとママに結婚記念日のお祝い!」
と言って、手渡してくれました。



箱の中身は?


う〜ん、食べられないけど手作りが嬉しい。
手間かけていることに感謝です。
ほんとうに可愛い娘です。
どうか、私よりもまともな男性と
偶然の出来事を維持して欲しいものです。


まだまだ先の話ですけど。

それと、パパとママの結婚記念日、だいぶ過ぎちゃってますけど。



日本一の親バカと、そのバカ息子の物語
三田三雄。
昭和5年1月、栃木県那須郡那須町に生まれる。
育ち盛りの11歳〜15歳、つまり戦時中には着る物もなく、
草の根等を食べて生き延びたほどの、貧しい農家で育った。
将来は貧乏しなくていいようにと勉強していると、
「そんなのいいから、農作業手伝え!」
と父や兄にぶん殴られる。
しかたないので、家族が寝静まってから、月明かりとみかん箱の机で
こっそりと勉強するが、よく見つかっては、
「明日の農作業に支障が出るから、早く寝ろ!」と、
しょっちゅうぶん殴られる。


東京に受験に行く電車賃すらなかった三雄は、
大学なんか許さないという家族に内緒で、
家から最も近い宇都宮大学まで歩いて受験に行き、
東京大学の夢はここで破れる。


そして時は流れ、都立高校教諭になった父は、
一人息子だけには貧しい思いをさせたくないと思い、
当時はまだ金持ちのイメージがあった歯科医にしようと考える。
地方公務員としては違法であったが、
休みの日に予備校の講師などをして稼いだお金は、
一人息子を私立歯科大学に入学させるための入学金と授業料となり、
自分のためには殆ど使わなかった。


一方、その一人息子は一般大学を受験したかったのに、
「おまえには共通一次(現在のセンター試験)は受けさせない。
現役で確実に入れる私立の歯科大学に行って、1年でも早く歯医者になれ」
と無理矢理レールを引かれた事を、歯科医師になった後も根に持ち続ける。

さらに、その息子は開業後、
年々景気が悪くなっていく歯科業界の中でも、
順調な日々を送っていられるのは、自分の努力の賜物だと勘違いして、
息子の学費のために働き続けた父への感謝の気持ちは忘れ、
定年退職した祝いもしなければ、旅行に連れて行くこともなく、
近くに住んでいながら、一緒に食事をすることも
一年に一度あるかどうかであった。

それどころか、矯正歯科を専攻したため、
父に歯医者にしてもらった恩も忘れ、
一度も父の口腔内を見てあげたことすらない。

7月12日、突然のことだが、
昨日まで歩いていた三雄は肺炎で動けなくなり、
救急救命に運ばれた後、入院。
普通なら肺炎球菌に効くペニシリン系抗生剤の投与で治るはずだが、
3日経っても効かない。
その後肺炎桿菌が見つかり、抗生剤を変えるが、
やはり効かない。
しかたなく、(あまり使いたくないという)かなり強い抗生剤に変え、
それと同時に息子は、延命治療をしないことの同意書にサインをする。

親不孝の限りをつくした息子も、最後の数日だけは一晩中父の側にいたが、
朝になると自分の職場に帰っていく。

そして、結局この親不孝な息子は、
体の暖かいうちには、一度も父の口腔内を見てあげることはなく、
気がついたときには、酸素吸入器をとりつけられ、
歯も磨いてあげることもできず、
ただの一度だけ磨いてあげられたのは、
2008年7月22日
死後硬直が始まりかかってからであった。




遺言とは言え、
病院から死亡の連絡があってもそのまま診療を続け、
昼休みになってから漸くかけつけたものの、
10分だけの対面したときに歯を磨いてやり、
後は葬儀屋にまかせ、午後も翌日も診療を続けた。
親不孝にもほどがある。



不思議なもので、死んでから思い出すんだよね。
忙しいなか、なんとか時間を作って、
旅行やナイターに連れていってくれたっけね。
その後、寝ないで次の日の授業の予習していたよね。


お父さん、ありがとうね。



昭和42年、海岸通り団地(現在のみなとみらい汽車道付近)の一室。
後の私立歯科大学生としては珍しい、4畳半1間での生活であった。
父の日の喜び
皆様こんにちは。
横浜市泉区三田矯正歯科医院、院長の三田浩明です。

今日は父の日でしたね。
やはり、こんなのは涙腺緩みます。


しかも中身は
私の大好物で、一時はもう2度と食べることができないと思っていた、
「アレ」が入っているなんて。


「アレ」って?
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もうすぐ?
なかなか外れそうで外れない補助輪。

右側は、地面に付かないように曲げてある。
これで乗れるんだから、外しても乗れそうなものだけど、
外すと途端に怖じ気づく。



メンタルが弱いのは、パパ譲りだね。
ゴメンネ。

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